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東京高等裁判所 昭和33年(ネ)772号 判決 1960年3月30日

控訴人 被告 全東栄信用組合

訴訟代理人 砂子政雄 外一名

被控訴人 原告 国

訴訟代理人 森川憲明 外二名

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は主文同旨の判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求めた。

当事者双方の事実上及び法律上の主張並びに証拠関係は、控訴代理人において、原判決一五枚目表三行目から六行目にわたり「前記差押がなされた後被告より足立税務署長に右のような事情を説明して差押処分の取消を求めた結果、同署長はその取消をすべきことを約定したのである。」とあるは、足立税務署長においてその差押にかかる定期預金及び定期積金の取立権を放棄したことを主張するものではなく、右記載部分は東京国税局の係官たる花城謙之の指示により、被控訴人が右取立権を放棄したことを主張する過程の事情として述べたものであると釈明し、別紙書面記載のとおり陳述し、被控訴代理人において、別紙書面記載のとおり陳述した外は、原判決の事実に摘示するところと同一であるから、ここにこれを引用する。

理由

一、控訴人主張のような定期預金、定期積金及び普通預金の払戻債権を、訴外大木光学工業株式会社が昭和三一年四月一七日当時控訴人に対し有していたこと、被控訴人の収税官吏たる足立税務署長が右同日大木光学工業株式会社の被控訴人に対するその主張のような滞納税金を徴収するため、右会社が控訴人に対し有していた前記定期預金及び普通預金の各払戻債権並びに前記定期積金についての既払込金の払戻債権を国税徴収法第二三条の一により差し押えたこと、控訴人が右差押にかかる債権のうち、普通預金の払戻債権につきこれを被控訴人に支払つたことは、いずれも当事者間に争がない。しかして、成立に争のない甲第一号証によれば、被控訴人は昭和三一年四月一七日当時大木光学工業株式会社に対しその主張のような租税債権を有していたことが認められ、又成立に争のない甲第二、第三号証によれば、足立税務署長は滞納処分として昭和三一年四月一七日大木光学工業株式会社の控訴人に対する前記債権を差し押えた旨を右同日債務者たる控訴人に通知したことが認められ、これを左右するに足る証拠はない。そして、大木光学工業株式会社の控訴人に対する前記払戻債権につき、控訴人主張のように昭和三一年四月一七日当時控訴人の同会社に対する手形貸付金債権を担保するため質権が設定されていたことは当事者間に争ないが、右質権の被担保債権が国税徴収法第三条により租税債権に優先し得るものであるとの点については、その主張立証がない。従つて、被控訴人は国税徴収法第二三条の一第二項により、前記差し押えた債権中、控訴人において被控訴人に既に支払ずみの普通預金債権を除き、その債権者たる大木光学工業株式会社に代位することになつたものというべきである。

二、被控訴人が前記差押にかかる定期預金債権及び定期積金債権を大木光学工業株式会社に代位して取り立てる権利を放棄したとの控訴人の抗弁については、当裁判所は更に審究の結果、原判決の理由(二)の(一)、(イ)ないし(ハ)、に説示(但し、原判決二〇枚目表九行目に「乙第六号証の一から六」とあるは「乙第三号証の一から六」の誤記と認める。)するところと同一の理由により、右抗弁を排斥すべきものと判断したので、右説示をここに引用する。

三、控訴人の相殺の抗弁について以下判断する。

1、国税徴収法第二三条の一第二項は国税滞納処分により納税人の有する債権が差し押えられ、右被差押債権の第三債務者がその通知を受けたときは、滞納処分費及び税額を限度として国が債権者に代位する旨定めており、右債権差押により国は当該債権の取立権を取得するのであるが、右取立権は単に納税人たる債権者に代つてその権利を行使し得るにとどまるから、第三債務者の有する適法な相殺の抗弁権の行使まで制限する趣旨のものではないというべきである。

2、そこでまず、本件事実関係についてみるに、足立税務署長が被控訴人の収税官吏として、被控訴人の大木光学工業株式会社に対する国税を徴収するために、昭和三一年四月一七日差し押えた被控訴人主張のような右会社の控訴人に対する預金債権を受働債権として、控訴人が右差押の後である昭和三一年六月二三日に右会社に対し、右差押前に存していた控訴人の同会社に対する被控訴人主張のような手形貸付金債権を自働債権とし対等額において相殺する旨の意思表示をなし、右相殺をなしたことを同月二五日東京国税局長に通知したことは当事者間に争がない。ところで、差押を受けた債権者は差押により当該債権の処分権を喪失するから債務者が受働債権の差押債権者に対し相殺をもつて対抗するには、その意思表示は差押債権者に対してなすを相当とし、このことは国税滞納処分による債権差押の場合にも異なるところはないと考えられるから、控訴人の大木光学工業株式会社に対する前記相殺の意思表示は相手方を誤つたものとみられるのであるが、しかし控訴人が被控訴人に対し右相殺をなしたことの通知には、同時に相殺の意思表示を包含していると解するのを相当とするから、控訴人の被控訴人に対する相殺の意思表示には欠くるところはない(被控訴人もこれについては何ら争つていない。)ものというべきである。しかして、前記認定事実に徴すると、受働債権が差し押えられた日時は昭和三一年四月一七日であるところ、控訴人が大木光学工業株式会社に対し有していた債権、即ち右相殺の自働債権たる四口の手形貸付金債権中、金一〇万円の一口は昭和三一年四月一一日を弁済期とするもので、右差押日時以前のものであるが、昭和三一年五月一日を弁済期とする金六万円、同年五月二九日を弁済期とする金一四万円、同年六月二日を弁済期とする金一五五、〇〇〇円の計三口はいずれもその弁済期が右差押日時以後のものに属すること、しかして右相殺の受働債権のうち金一〇万円の定期預金債権はその払戻期日が昭和三一年六月三〇日、同金六五、〇〇〇円の債権はその払戻期日が同年九月九日であり、又定期積金債権中既払込金九一、六〇〇円の満期日は昭和三一年八月二日、同既払込金一二五、七六〇円の満期日は昭和三二年一二月二九日、同既払込金四三、六〇〇円の満期日は昭和三二年八月一〇日、同既払込金七、八六〇円の満期日は昭和三四年三月一三日であつて、いずれもその弁済期は前記差押日時以後のものであるが、同時にいずれも前記自働債権のうち最も遅い弁済期以後に属することが明らかである。又、原審証人千代浦海昌の証言によつて真正に成立したものと認められる乙第四号証及び同証言によれば、大木光学工業株式会社は大木粂太郎を連帯保証人とし昭和二九年一二月二九日に控訴人と手形貸付、同割引等の金融取引契約を締結するに際し、控訴人主張のとおり「右会社の振出、引受、保証した約束手形又は為替手形の支払人若しくは手形上の債務者が弁済を怠つた場合は勿論支払期日前であつてもその内一人でも支払を停止し、又は手形交換所において不渡処分を受け、その他支払停止の虞があると控訴人が認めた場合、仮差押、仮処分、強制執行、任意競売の開始、破産宣告、国税滞納処分又はその他による差押を受けた場合、裁判所による整理和議、又は更正手続の開始のあつた場合、及び背信行為があり、若しくは本特約に基く債務の履行が困難であると控訴人が認めた場合には、その事由の如何に拘らず期限の利益を喪い直ちに右会社が手形金額を弁済する。」旨及び「控訴人に対し右会社及び保証人の有する預金その他の債権は、同会社及び保証人が控訴人に対するすべての債務中いずれの債務でも、履行を怠つているものは勿論控訴人において必要と認められた場合は債権債務の期限到来の有無に関係なく、何等の通知催告なしに何時差引計算されても異議ない。」旨を約定していることが認められる。右契約の趣旨を事案に即して考えると、特段の事情の認められない本件においては、大木光学工業株式会社が国税滞納処分による差押を受けるという事態が発生した場合には、これを要件として、同会社の控訴人に対する預金払戻債権と控訴人の右会社に対する手形貸付金債権とにつき、右両者の弁済期如何を問わず直ちに相殺適状が発生し、しかして控訴人の相殺予約完結の意思表示により(なお、右特約中何等の通知を要しないで相殺することができる旨の約定は、法律関係の安定性を害するから、少くとも第三者に対する関係においては右部分は効力がないものというベきである。)右を対等額において相殺し得る旨の相殺の予約がなされたものと解するのが相当である。

3、控訴人に対する大木光学工業株式会社の預金払戻債権が被控訴人の国税滞納処分により差し押えられたことは前記のとおりであるが、かかる場合、控訴人は被控訴人に対し右相殺予約に基く相殺をもつて対抗し得るか否かについて審按する。相殺は相互に債権債務を有する当事者間において、一方の債権者が債務者に対し債権と債務とを対等額で消滅させる意思表示であり、かかる制度は同一当事者間に相対立する債権が存在する場合、これを信頼し相殺の意思表示以前から将来相殺適状が生じた際には対等額で債権債務関係が決済されるべきものと考えている当事者の期待に添い、公平の理念に合致するものである。ところで、元来前記認定のように金融取引において、取引先につき他より差押を受けるという一定の明確な事態が発生した際に、金融機関において預金債権を受働債権とし手形貸付金債権を自働債権として相殺し得る旨の相殺の予約は、これにより実質的に貸付金債権の回収をはかることを意図しているものというべく、しかも手形貸付金債権の弁済期が預金債権の弁済期より以前に到来すべき本件の場合には、控訴人は相殺適状が発生次第何時でも貸付金債権をもつて預金債権と相殺し得る地位にあり、かつ相殺し得べき利益を有するから、このような確実な控訴人の期待と利益とを、その予知しない差押によつて剥奪することは、前記相殺制度の趣旨に照らして妥当なものとはいい難い。他面差押の目的たる債権について見れば、差押債権者の地位は、差押当時における当該債権者のそれと同一であるべく、それ以上に差押債権者が有利な地位を取得する筈はなく、債務者(第三債務者)が不利な効果を甘受すべきものでもないのであつて、換言すれば、差押債権者はもともと相殺の抗弁権をもつて対抗せられるべき債権を差し押えたものであるから、相殺をもつて対抗せられる不利益を受ける状態において債権を行使するの外ないものというべく、従つてこれを目して差押債権者の利益を不当に害し、又債務者の利益を不当に保護する結果になるとするは当らない。

被控訴人は前記のような相殺の予約に基く相殺を有効とするときは、単なる私人間の契約によつて法律の認める以上に相殺の対抗力を拡張することとなり、相殺に対し一定の制限を設けようとした法律の精神に違背するばかりか、被差押債権に質権が設定され、その質権が国税に劣後する場合を考えると、その質権をもつてしても国税に優先して弁済を受け得られないのに相殺をもつてすれば国税に優先して弁済を受け得られることとなるのは不合理であり、従つて相殺予約に基く予約完結権の行使により差押債権者に対抗できるためには、その完結権の行使は差押時までになされることを要するものと解すべきところ、本件においては右行使は差押の後であるから、控訴人は相殺をもつて被控訴人に対抗できないと主張する。しかし、同一当事者間に相対立する債権債務が存在する場合、相殺契約によつてこれを如何に処理するかは、公序良俗に反しない限り、本来当事者間の自治に委ねてしかるべきものであり、手形交換所における清算契約や商人間の交互計算もかかる契約の有効であることを前提とし、その効用を発揮しているのである。それ故相殺の予約が受働債権の差押以後になされている場合は格別、本件のように差押以前に締結されている以上、右契約によつて民法上の相殺権発生の要件と異なる要件が定められ、これに差押債権者が拘束せられるからといつて、前記相殺制度の趣旨に照らし、法律の精神に違背するものとはなし難い。又国が国税滞納処分のために、納税人が第三債務者に対して有する債権を差し押えたからといつて、国は差押により債権の取立権を取得し、納税人に代つて従前通りその権利を行使し得るにとどまり、国税徴収法第三条も、納税人の財産上に一定の質権が設定されている場合は、その担保物の価額を限度として、その債権に対しては国税を先取しないと定めているにとどまるから、控訴人の相殺約款に基く相殺権の行使を妨げ得ないものというべく、相殺契約が相殺権行使の結果実質的に担保的な機能を営むことになるからといつて、これを国税徴収法第三条の規定と同一に論じ、被控訴人主張のように不合理なものであるとはいい難い。結局相殺予約に基く相殺権をもつて差押債権者に対抗し得るか否かは、差押債権者と第三債務者の利害関係を如何に公平に調節するかの観点から決するのを相当とすべきところ、前認定のように控訴人が将来当然に相殺し得べき確実な期待を有する本件においては、控訴人は差押後と雖も相殺予約に基く予約完結権を行使するに妨げないものというべきである。

被控訴人は更に、控訴人主張の相殺の予約において、一定の事由が発生した場合に貸付金債権の期限の利益を剥奪する旨の約定は、控訴人の期限の利益を奪う旨の意思表示なしに当然に期限の利益が失われる趣旨のものとは解せられないところ、控訴人は本件において前記一〇万円の手形貸付金債権を除くその余の三口の債権については差押前に期限の利益を剥奪する旨の意思表示をなしていないから、少くとも右三口の債権を自動債権とする部分については相殺をもつて被控訴人に対抗するによしないと主張する。しかし、本件相殺予約には、滞納処分による差押という客観的に明確な事実が発生した場合に、控訴人は大木光学工業株式会社との債権債務につき、その弁済期の如何を問わず、相殺をなし得る旨が約定されており、従つて差押と同時に相殺適状が発生し、控訴人において相殺権を取得するものであること前記説示のとおりであるから、控訴人はその手形貸付金債権につき期限の利益を剥奪する旨の意思表示を必要とすることなく相殺をなし得るものと解するを相当とし、仮りに右約定が期限の利益を剥奪する旨の意思表示を要する趣旨のものであるとしても、右意思表示は相殺予約に基き後日行う相殺の意思表示に包含せしめるをもつて足るものというべく、よつて控訴人の本件相殺の意思表示には欠けるところはない。

被控訴人はなお、控訴人が相殺予約に基き発生したという相殺適状は、論理的には差押の効果が発生した後のことに属するから、差押当時には未だ相殺適状は生じていないものというべく、従つてかかる場合は民法第五一一条の趣旨よりしても相殺をもつて差押債権者に対抗し得ないものと解すべく、もしこれを認めるとすれば、私人に有効な執行免脱約款を設け得ることを容認することになると主張する。しかし、控訴人と大木光学工業株式会社との前記相殺の予約は、同会社の控訴人に対する預金債権が国税滞納処分により差押を受けた際には、控訴人をして相殺権を行使せしめ、それによつて控訴人の右会社に対する貸付金債権の満足をはからんとするにあり、右相殺権の行使が差押債権者に対抗し得るとの前提のもとに約定されたものであることは、右約款に徴し明らかであつて、かかる控訴人の利益を無視することは控訴人に酷に失するものというべく、従つて前記約定の趣旨は、被控訴人主張のようにしかく形式的に解すべきものではなく、右会社が差押を受けると同時に控訴人との間の相互の債権債務につき相殺適状が生ずるものと解するのが相当であること前説示のとおりである。又民法第五一一条は第三債務者が差押以後に取得した自働債権をもつて差押を受けた受働債権と相殺しても、これをもつて差押債権者に対抗し得ない旨を定めたものであつて、本件は前記認定のようにこれと異なるから、叙上説示のとおり、被控訴人の差押は本件相殺予約に基く予約完結権の行使に何らの消長を及ぼすものではなく、寧ろ被控訴人は受働債権が差押当時において有する状態においてこれを差し押えたもので、控訴人から相殺をもつて対抗せられるもやむを得ないものというべく、これを目して金銭執行における債権者平等主義の原則を破るものとも、私人に有利な執行免脱約款を設けることを容認したものともいうに当らないことは明らかである。

4、そうすると、控訴人が前記相殺予約の約款に基き昭和三一年六月二五日被控訴人に対してなした相殺権の行使は、被控訴人に対抗し得るこというまでもなく、従つて本件相殺は、被控訴人の前記差押当時既に弁済期の到来していた金一〇万円の手形貸付金債権を自働債権とする部分について有効であるのみでなく、差押直前未だ弁済期の到来していなかつた前記三口の手形貸付金債権を自働債権とする部分についても、その効力が生じたというに妨げない。

5、ところで、被控訴人は、控訴人のなした相殺は、その発生原因をそれぞれ異にする四口の自動債権と六口の受働債権とを各別に表示することなく、ただ単にその合計金額のみを示してなされたものであつて、かようにいずれの自働債権をもつてどの受働債権と相殺するかを確知し得ない方法による相殺は無効とみるほかはないと主張する。相殺の意思表示をなすに当り相殺する原因を示さなければならないのはいうまでもないが、しかしそれは債権の同一性を認識し得る程度に示すをもつて足り、債権発生の日時及び発生原因等が詳細に明示されていなくても相殺の効力には影響はないものというべく、又自働債権及び受働債権がそれぞれ数個ある場合において、当事者が相殺の意思表示によりいずれの債権をもつていずれの債権に対し相殺がなされたか判明しない場合には、民法第五一二条により弁済の充当に関する同法第四八九条ないし第四九一条が準用されるから、これに従つて充当すれば足り、右の場合においても相殺の効力には何らの消長はない。しかして、成立に争ない乙第一号証の一、二、及び原審証人千代浦海昌の証言によると、控訴人は本件相殺に当り、被控訴人に対し自働債権である四口の手形貸付金債権の表示については、各々の元金額、貸出の日時及び支払期日を示し、受働債権の表示としては、大木光学工業株式会社の源泉所得税その他の滞納税金を徴収するため足立税務署長が昭和三一年四月一七日差し押えた二口合計金一六五、〇〇〇円の定期預金並びに四口合計金八〇〇、〇〇〇円を給付契約金とする定期積金中四口合計金二六八、八二〇円を示していることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はないから、この程度の表示がなされておれば、相殺せられるべき債権債務の同一性を認識するに足るものと解すべく、又本件において当事者双方のいずれかからでも相殺の充当に関し、その指定のあつたことを認め得る資料はないから、右説示の準用規定に従つて処理するをもつて足ることはいうまでもない。

6、されば、控訴人がその主張の両債権につき昭和三一年六月二五日になした前記相殺の意思表示は有効であつて、被控訴人に対しこれをもつて対抗し得べく、右両債権を前記相殺の充当に関する規定に従い処理すると次のとおりになる。即ち、相殺に供されるべき自働債権は、(1) 、手形貸付元金一〇万円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和三一年四月一二日から相殺の当日である同年六月二五日まで七五日間の遅延損害金五、二五〇円(前掲乙第四号証によれば遅延損害金は日歩金七銭であることが認められるから、右割合で算出した。なお、利息金の存在についてはその主張立証がない。以下同じ。)計金一〇五、二五〇円、(2) 、同元金六万円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和三一年五月二日から右同年六月二五日まで五五日間の遅延損害金二、三一〇円計金六二、三一〇円、(3) 、同元金一四万円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和三一年五月二〇日から右同年六月二五日まで二七日間の遅延損害金二、六四六円計金一四二、六四六円、(4) 、同元金一五五、〇〇〇円及びこれに対する弁済期の翌日である昭和三一年六月一二日から右同年六月二五日まで一四日間の遅延損害金一、五一九円計金一五六、五一九円、以上合計金四六六、七二五円となり、これとの相殺によつて消滅されるべき受働債権は、(1) 、定期預金元金一〇万円及びこれに対する預入日の昭和三〇年一二月三〇日から相殺の当日である同年六月二五日まで五箇月二七日間についての約定利率年五分一厘の割合による利息金二、四七六円(右利息の計算は、一箇月分については一箇年分の利息金五、一〇〇円を一二分した金四二五円を、一日分については右一箇年分の利息金を三六五分して円位未満を切り捨てた金一三円をそれぞれ単位として算出した。)計金一〇二、四七六円、(2) 、同元金六五、〇〇〇円及びこれに対する預入日の昭和三一年三月九日から右同年六月二五日まで三箇月一七日間についての約定利率年五分一厘の割合による利息金九八一円(右利息の計算は、一箇月分については一箇年分の利息金三、三一五円を一二分して円位未満を切り捨てた金二七六円を、一日分については右一箇年分の利息金を三六五分して円位未満を切り捨てた金九円をそれぞれ単位として算出した。)計金六五、九八一円、(3) 、定期積金既払込金九一、六〇〇円及びこれに対する本件差押の日である昭和三一年四月一七日から前記同年六月二五日まで七〇日間の日歩金七厘の割合による利息金四四八円(円位未満は切り捨てた。なお、右定期積金既払込金については、各払込の日から日歩金七厘の利息金が加算せらるべきことは当事者間に争ないが、本件差押の昭和三一年四月一七日以前の各払込金の金額及び日時についての主張立証がないから、右部分の利息はこれを算定するによしがない。以下同じ。)計金九二、〇四八円、(4) 、同既払込金一二五、七六〇円及びこれに対する右(3) と同様の方法による利息金六一六円計金一二六、三七六円、(5) 、同既払込金四三、六〇〇円及びこれに対する右(3) と同様の方法による利息金二一三円計金四三、八一三円、(6) 、同既払込金七、八六〇円及びこれに対する右(3) と同様の方法による利息金三八円計金七、八九八円、以上合計金四三八、五九二円となるから、これを前記充当に関する規定により、自働債権については、まず弁済期の到来したものからかつ遅延損害金及び元本の順序に従い、受働債権については、利率の高いものからかつ利息及び元本の順序(相同じものについては按分し)に従い、順次これを計算する(控訴人は本件相殺をなすに当り、自働債権及び受働債権の元本金額のみを表示したにとどまり、その遅延損害金又は利息を示すことのなかつたことは前認定のとおりであるが、控訴人が特に反対の意思を有していたことを認めるべき証拠のないことよりして、右のような表示はその特定のためになされたとみて、それらの中に遅延損害金又は利息債権も含まれていたものと解するに妨げはないものというべきである。)結局本訴預金債権たる受働債権全部が消滅し、なお自働債権たる昭和三一年六月一一日を弁済期とする手形貸付金債権元金中金二八、一三三円が残存することになることは計数上明らかである。そうすると、控訴人の相殺の抗弁はこの点において総て理由があり、被控訴人の本訴請求は全部失当としてこれを棄却すべきところ、右と異なり控訴人に一部金員の支払を命じた原判決はその限度において取消を免れない。

四、しからば、控訴人の本件控訴は理由があるから、原判決中控訴人の敗訴部分を取り消し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 二宮節二郎 裁判官 奥野利一 裁判官 大沢博)

(別紙)

控訴代理人の主張(昭和三三年九月二五日準備書面)

一、原判決が控訴人の相殺の抗弁を排斥する理由二の(ニ)の(ロ)において「してみると被告が訴外大木光学工業株式会社との間の前記相殺の予約に基く相殺をもつて前記差押当時になお弁済期の到来していなかつた三口の手形貸付金を自働債権とするものについても差押債権者である原告に対抗し得るためには少くとも右差押の時までに右三口の自働債権について弁済期を到来させる措置が講じられていたことが必要なのである。」と判示した見解は以下述べる理由により極めて不当である。

(一) 民法第五一一条の解釈については、「受働債権につき差押がなされた後第三債務者が債務者に対する反対債権により相殺をもつて差押債権者に対抗し得るためには差押当時その自働債権が弁済期にあることを要するはもちろん受働債権もまたひとしく弁済期にあるかまたは少くとも債務者において期限の利益を抛棄し得る場合でなければならない」というのが従来の大審院判例の態度であつた。

(二) 然し乍ら自働債権又は受働債権の弁済期未到来のため相殺をなし得ないでいるうち差押がなされた場合につき将来弁済期が到来すれば相殺をなし得たであらう債務者の期待及びその利益を全く無視する様な右の如き解釈は当を得たものではなく甚しく公平の理念に反するものであるといわねばならない。殊に自働債権及受働債権につき弁済期の如何を問はず一定の事実(例えば差押)の存する場合には相殺し得る旨の特約ある場合、或は自働債権につき期限の利益をはく奪し得る特約ある場合、更に又、自働債権の弁済期が受働債権の弁済期より先に来る場合にも「差押当時その自働債権が弁済期にあることを要する」との解釈をとるに至つては極めて不当な結果をもたらすものといわねばならない。

(三) 独逸民法では我が国の民法五一一条に相当する規定としてこの様な場合につき、第三九二条「債務者が債権者に対して有する債権の相殺が債権の差押によつて排除されるのは債務者が差押後に債権を取得し又は債務者の債権の弁済期が差押後であつてしかも差押債権の弁済期後に達した場合に限る」と規定している点は参照に価するものというべきである。果せるかな、最高裁判所は従来のこの大審院の判例を変更し、「債務者が債権者に対し債権の譲渡または転付前に弁済期の到来している反対債権を有するような場合には、債務者は自己の債務につき弁済期の到来するのを待ちこれと反対債権とを対等額において相殺すべきことを期待するのが通常でありまた相殺をなしうべき利益を有するものであつてかかる債務者の期待及び利益を債務者の関係せざる事由によつてはく奪することは公平の理念に反し妥当とはいい難い」と判示するに至つた(最高昭和三二年七月十九日集十一巻七号)。右判示は従来この点に関する我が国における多数学説たる「差押当時将来において相殺に供しうべき原因が存すれば足りる」との見解と同様の立場であるか少くとも前示独逸民法乃至は後述する「河村裁判官の補足意見」と同様の立場に立つているものである。即ち右判例の判示するところは従来大審院の判例が「差押債権者に対抗するためには差押当時第三債務者に相殺権が成立していること」を要件とする建前をとつていたのに対し「差押当時相殺適状になくとも将来の相殺に関する債務者の期待ないし利益をも差押債権者に対する関係において保護しなければならない」とするものである。(転付前に反対債権の弁済期が到来しているということが要点ではない)ところで本件において控訴人組合の主張している訴外大木光学工業株式会社に対する自働債権たる手形貸付金三口は本件差押当時すでに存在していたのみならず、右貸付金債権(自働債権)につき、後述のとおり右訴外会社において履行を怠り、又は手形交換所において不渡処分を受け或は又強制執行、滞納処分による差押等(特約については後述する)の事由が発生した場合には相互の債権債務についてその弁済期のいかんを問はず相殺を行い得る旨の相殺予約をなしているのであるから従来の大審院判例によつても差押前に受働債権の期限の利益を抛棄していなくともこれを抛棄できる場合であればよいとしているのであるから自働債権についても期限の利益を剥奪し得る本件の様な場合であれば差押前に右期限の利益を剥奪する措置を講じていなくとも相殺をもつて対抗できる筋合である。仮りにそうでないとしても前記最高裁判所の判示に照し金融機関である控訴人組合が取引先である訴外会社に対する前記貸付金債権担保の目的即ち訴外会社の預金債権につき第三者から差押等があつた場合に控訴人組合の権利を確保することを殆ど唯一の目的としてなされた右の様な相殺予約が成立している場合には右訴外会社の控訴人組合に対する受働債権即ち本件差押にかかる定期積金、同預金を相殺すべきことを期待するのが通常でありまた相殺をなしうべき利益を有するものであつてかかる控訴人組合の期待と利益を差押という一事によつて剥奪することは許さるべきものではないから控訴人組合は、本訴請求に対し相殺をもつて対抗出来る筋合である。

二、仮りに右主張が理由ないとしても次の理由により控訴人組合の相殺(後述する相殺予約に基く相殺)は有効であり被控訴人に対抗し得るものである。その理由は前掲最高裁判所判決において河村裁判官が補足意見として述べておられるものと同一であるからここにこれを引用する。「債権譲渡の通知当時は、まだ相殺適状になく、しかも債務者の有する反対債権(自働債権)の弁済期がその債務者の負担する債務(受働債権)の弁済期より後に到来するものについては債務者は受働債権の弁済到来により直ちに弁済する義務を生じ債権譲受人もまた無条件にこれを請求し得べきものであるから、債務者は自働債権の弁済期到来をまつてこれを相殺する自由をもたないものである。即ちこの場合は債務者が自己の有する債権を以つて相殺をなし得ることが通常期待される場合に当らないから債務者は相殺を以て債権譲受人に対抗することができないものと解すべきである。右の場合と異つて、債権譲渡の通知当時相殺の原因が存在し、しかも自働債権の弁済期が受働債権の弁済期以前に到来するものについては、右自働債権の弁済期が譲渡通知の前後いずれにあるを問わず債務者はやがて弁済期の到来すべき自己の債務(受働債権)によつて相殺することが通常期待され、その利益を有するものであるから、右の場合において後日相殺適状を生じたときに債務者は債権譲受人に対し相殺をなし得るものと解すべきである。以下略」右は債権譲渡の場合についてであるが差押の場合を区別する理由はなく両者は共通に解すべきものであることはいうまでもない。ところで控訴人組合の主張している訴外会社に対する三口の手形貸付金(自働債権)は本件差押当時すでに存在し、且つ右手形貸付金(自働債権)の弁済期日はいずれも被差押債権(受働債権たる定期積金、同預金)の弁済期以前に到来するものであることは被控訴人の主張しているところによつても明らかであるから控訴人組合の相殺予約に基く本件相殺は有効であり、被控訴人に対抗し得るものといはなければならない。

三、仮りに右主張が採用されないとしても次の理由により本件相殺は有効であり被控訴人に対抗し得るものである。

(一) 民法上の相殺は対立する同種の債務の存在とそれがいづれも弁済期にあることを相殺権発生の要件としているのに対し、相殺予約に基く相殺権発生の要件は民法第五〇五条の要件とは無関係であり専ら相殺予約契約の内容によつて決定されるものであることは多言を要しない。

(二) 控訴人組合は訴外大木光学工業株式会社との間において昭和二十九年十二月二十九日、手形貸付、同割引等の金融取引契約を締結するに際し左記のとおり相殺に関する予約をなした。

(期限利益剥奪の事由)

(1)  訴外会社の振出引受保証した約束手形又は為替手形の支払人若しくは手形上の債務者が弁済を怠つた場合は勿論支払期日前であつてもその内一人でも支払を停止し又は手形交換所において不渡処分を受けその他支払停止の虞があると控訴人組合が認めた場合仮差押、仮処分、強制執行、任意競売の開始、破産宣告、国税滞納処分又はその他による差押を受けた場合裁判所による整理和議又は更正手続の開始のあつた場合及び背信の行為があり若しくは本特約に基く債務の履行が困難であると控訴人組合が認めた場合にはその事由の如何に拘らず期限の利益を喪い直ちに訴外会社が手形金額を弁済する。(乙第四号証第二条)

(相殺の方法)

(2)  控訴人組合に対し訴外会社及び保証人の有する預金その他の債権は訴外会社及び保証人が控訴人組合に対するすベての債務中何れの債務でも履行を怠つているものは勿論控訴人組合において必要と認められた場合は債権債務の期限到来の有無に関係なく何等の通知催告なしに何時差引計算されても異議がない。(乙第三号証ノ乃至六乙第四号証第三条)

(三) ところでこの様な金融取引上の相殺予約がなされている場合、相殺適状即ち控訴人組合の相殺権は何時生ずるか、原判決は右相殺予約に関する約定に対し右の点を検討することなく漫然右契約を無効であるかの様な法的評価を加えた上差押の時までに三口の自動債権について弁済期を到来させる措置が講じられていないと判断したがこれは不当である。契約に基く相殺については民法上の相殺規定による制限はないのであるから対立する債権債務の処理は、本来、当事者間の自治に委ねられて然るべきものでありその弁済期如何にかかわらず一定の事実が発生したときにこれを相殺に供し得るものと予め約定することはもとより自由なはずである。そうして債権債務の処理方法を他からの差押或は不渡処分の事実発生等にかからせることは決して不当なものではない。而して強制執行による滞納処分によるとを問はず差押は差押債権者に差押当時、差押債務者の有している地位以上のものを与える効力を有するものではないことを考えればこの様な負担付乃至は特約付の債権を差押たのであつてみれば該特約に基いて相殺を対抗せられても止むを得ないはずである。これに反し相殺契約が差押後になされたものであれば原判決が判示するとおり「私人間の契約によつて法律の認めるところ以上の相殺の対抗力を拡張する」ものとしてその効力を否定されるのは当然であるが「差押前に成立した相殺権の行使を制限するものでない」と明言している法律の趣旨に照らし、前記相殺予約に関する約定は判示のいうような「法律の認めるところ以上に相殺の対抗力を拡張する」ことにはならないのである。

(四) 前示(三項ノ(二)ノ(1) )相殺予約に関する特約は、同項(1) 記載の一つに該当する事実が客観的に生じた場合には控訴人組合と取引先である訴外会社との相互の債権債務につきその弁済期の如何を問はず相殺を行い得る趣旨のものである。そうとすれば相殺適状即ち控訴人組合の相殺権の発生は専ら約定にかかる当該事実の発生にかかつているものというべく、かかる約定の事実の一が訴外会社に発生したときに控訴人組合において相殺する権利が発生し、何時でも相殺をなし得る地位を取得するわけである。

(五) 而して期限の如何を問はず一定の事実が生じたときに控訴人組合に相殺権が発生するのであるからこの場合控訴人組合が有する反対債権(自働債権)の期限の利益を奪う旨の意思表示は毫も必要としないのであり前記約定にかかる一定の事実発生と同時に相殺適状が形成され相殺権を取得するものであることは余りにも明白である。

(六) 若し仮りに前記相殺に関する約定の解釈として相殺権発生の要件が弁済期を到来せしめて相殺を行う趣旨のものと解してみても弁済期の到来は約定にかかる前記一定の事実発生のときに擬制されているのである。而して期限の到来を擬制するということは期限の利益を剥奪する形成権の行使なくして期限が到来したものと同様の取扱をなさしめることであるから反対債権(自働債権)につき期限の利益剥奪のための独立の意思表示を必要とする理由もその実益もなく後日行う相殺の意思表示にこれを含ましめることで必要にして且充分なはずである。従つて前記相殺予約に関する約定に対しどの様に法的評価を加えるにせよ約定にかかる事実発生と同時に相殺を行う権利が発生するものとみなければならない。

(七) そもそも金融取引上一般に行はれている相殺の予約は主として債権担保の目的でなされているものであつて民法上の相殺の制度の如く単に便宜と衡平を主たる目的とするものとは本質を異にしているものであり、少くとも相殺予約の特約を右の様に解さなければ取引先の債権につき第三者から差押があつた場合における金融機関の権利を確保する余地がなく債権担保の目的でなされている相殺予約に関する特約は空文に等しいものとならざるを得ないのである。金融機関はその金融取引の慣行として手形貸付その他の形態における貸付にしろ取引先が貸付金の利息を支払う限り元本の期限を一定期間猶予(手形の書替)して利殖を図つているのであり、これが金融取引の常態なのであるから金融機関の取引先に対する債権は常に弁済期未到来の状態におかれている実状を考えればかかる金融機関の債権担保の目的に出た相殺予約に基く相殺権発生時期を右のように解さない限り、金融機関としてその取引先に対する債権につき第三者から差押を受けた場合全く権利確保の方法がないことになり金融機関に対し極めて深刻な影響をもたらす結果になることに思い至すべきである。

(八) ところで訴外会社の控訴人組合に対する本件定期積金、同預金につき昭和三十一年四月十七日被控訴人が国税滞納処分による差押をしたことは当事者間に争のないところである。而して国税滞納処分による差押という事実の発生が本件相殺予約約款に定められた弁済期前における相殺権発生の要件事実の一つに該当するものであることはすでに述べたとおりである。従つて少くとも右差押のときに控訴人組合と訴外会社との間の債権、債務につき相殺適状が形成され控訴人組合に相殺権が発生していることは明白である。尤もこの場合、形式論に拘泥するならば右差押に基く相殺適状は一瞬ではあるが差押の後に到来していると解し得るかも知れない。然し乍らこの様な形式的判断は到底許されるべきものではない。「差押の事実発生」を相殺権行使の要件の一つとして約定をする当事者の意思は、取引先の債権(金融機関の場合は主として預金積金)につき他から差押があつた場合、金融機関をして相殺権の行使を可能ならしめることにあると解さなければ意味がないから(金融機関の相殺予約約款は債権確保、即ち優先権確保の目的でなされているのである)それによつて与えられる相殺権の行使は差押債権者に対抗し得るものでなければならないはずである。(差押は差押債務者の有している地位以上のものを与える効力を有しないことも考え合はせるべきである)例えば破産法によれば破産債権者が破産宣告当時破産者に対して債務を負担する場合、破産債権者は破産手続によらないで相殺権の行使を認めている。そうして相殺権を行使し得る債権は破産宣告前すでに相殺適状にあつたもののみならず破産宣告によつて期限の利益を喪失し期限の到来する債権(民法第一三七条)も含まれるのである(破産法第九八条、九九条)。而して前者の場合はともかくとして後者の場合は民法第一三七条の規定と相俟つて、破産宣告によつて相殺適状がもたらされるものにほかならないものであるにもかかわらず他の破産債権者に優先して弁済を受けさせるため相殺権の行使を認める破産法の態度は「差押によつて相殺適状が形成される」旨の約定ある本件の場合にも充分参照に価するものというべくこれと異る解釈により第三債務者たる控訴人の利益を無視して差押債権者たる被控訴人を保護しなければならない理由はない。そうとすれば前記相殺予約の約款に基き本件滞納処分による差押により相殺適状が形成され、これによつて控訴人が訴外会社に対して取得した相殺権の行使として昭和三十一年六月二十三日になした本件相殺は差押債権者たる被控訴人に対抗しうることは洵に明白であり、被控訴人の請求は棄却されるべきものである。

以上

被控訴代理人の主張

被控訴人は、控訴人の昭和三三年九月二五日付準備書面に対し、次のとおり反駁する。

一、準備書面一項について

(一) 昭和三二年七月一九日の最高裁判所判決が、民法四六八条二項の解釈に関する従来の判例を変更したことは、控訴人の指摘されるとおりであるが、民法五一一条の解釈についても、右判例の見解が妥当すると解することは必らずしも正当とはいえない。なるほど、債権譲渡の場合も、また債権の差押の場合でも、そのことにより第三債務者につき既に生じた法的地位が不利に変更され、またはこれが害されることがあつてはならないことは、両者同じであるが、しかし相殺に関しては、既に相殺適状にある場合はともかくとして、未だ相殺適状にないときは、債権債務が相対立しているとはいうものの、第三債務者においては、相殺し得べき既得の法的地位を未だ取得しているのではないから、第三債務者との利害の調節に際しては、それぞれの場合の特質に応じて解釈決定されるべきである。すなわち、この場合は、第三債務者保護の名の下にすべての場合を通じ一様に決しなければならないほど確立した法的地位を第三債務者は取得しているのではないのであるから、第三債務者が利害をもつに至つたそれぞれの制度の趣旨との関連において各別に考察決定されるべきであり、従つて債権譲渡の場合に前記最高裁判所判決のように解釈されるべきであるからとはいえ、直ちに債権差押の場合にこれを当てはめることは早計といわなければならない。後者の場合には、次に述べるように強制執行制度との関連において考察されるべきものがあるのであるから、両者においては自ら解釈の異るべきところのあるのは当然といえよう。元来、金銭執行が競合した場合に、いわゆる平等主義を建前とするわが国の強制執行制度の下においては、特別の優先権を有しない債権者は、自己の債権の強制的満足をうけるためには、債権者平等の立場で、債務者の責任財産について強制執行をしなければならず、他の債権者が債務者に対して強制執行を開始した後は、その手続に加入することにより、自己の債権額に応じた割合で分量的な満足をうける外ない。そして、このことは、他の債権者が強制執行を開始した目的財産がたまたま自己に対する債権であつても異なるところはない筈である。そこで、こうしたわが国の強制執行制度の下で、第三債務者が差押後に反対債権をもつて有効に相殺し得ることを認めることは、結局債権者平等主義の原則を破り、特定の債権者(ここでは第三債務者)に優先的に債権の満足を得させることになるのであるから、第三債務者が有効に相殺できる場合は、被差押債権が形式的には存在するが、第三債務者の有する対立債権が存するために事実として有名無実になつているという状態に至つている場合でなければならないと解するのが相当である。かくして、差押債権者の利益と第三債務者の利益との間に公平が保たれることにもなるのである。しかして、被差押債権が有名無実の状態にある場合とは、差押当時対立債権を有する当事者が既に対当額で決済されて消滅したと同様に考え、債権の取立にも債務の履行にも殆んど関心を失つているのが通常と考えられる場合、すなわち相殺適状にある場合である。これを要するに、第三債務者は、反対債権と被差押債権とが差押当時相殺適状にある場合にのみ、差押後反対債権をもつて有利に相殺できる利益を有するものというべきである。殊に、差押が国税滞納処分として行われた場合には、差押当時第三債務者の債権が弁済期にあるのみで、有効に相殺できると解するならば、著しく不合理な結果を生ずる。このことは、第三債務者の有する債権のため、被差押債権に質権が設定されているが、その質権は国税に劣後するという場合に想到すれば容易に首肯されるであろう。すなわち、その場合、債権質権をもつてしては、国税に優先して弁済をうけ得ないが、相殺をもつてすれば、国税に優先して弁済をうけられることになるからである。もとより、対立債権が存在しているということ自体、当事者相互における担保的ないし保障的機能を果しているといつて差支えないが、本来債権質のような担保物権は、債権者平等によらず、特に被担保債権について優先弁済をうけるために設定されるものであるから、相殺が、担保物権よりも一段強い担保的機能をもつと解することは、制度を無視する論ということができよう。従つて、こうした見地からいつても、国税滞納処分として債権差押が行われた場合は、第三債務者の有する反対債権と被差押債権とが差押当時相殺適状になければ有効な相殺ができないものと解すべきである。ところが、本件においては、差押当時なお本来の弁済期の到来していなかつた三口の手形貸付金債権について、差押時までに弁済期を到来させる措置が講ぜられていない(控訴人の主張する特約があつたとしても、差押当時弁済期が到来していると解し得ないことは後述する)。従つて、右三口の債権を自働債権とした相殺が、被控訴人に対抗できるいわれはない。

(二) ところで、控訴人は、右判決は、第三債務者が債権の譲渡通知前に相殺原因を有するかぎり相殺できるとする多数学説の見解と同様の立場であるが、少くとも右判決における河村裁判官の補足意見と同様の立場に立つているものであるとされる。なるほど、右判決は、控訴人のいう立場に立ち、ただ事案に即し必要な限度で従来の判例を変更するにとどまつたものであるかも知れない。しかし、他面、右判決は、債権譲渡通知前に第三債務者の反対債権が弁済期にある場合には、第三債務者として強制執行により満足をうけ得べき地位にあるから、その段階では、第三債務者に有効な相殺ができる利益を認めるべきであるが、右の補足意見のような見解では、譲受債権者の利益と第三債務者の利益との間に均衡が失われるとの見解に立つているものとみることも可能である。このように、右判決については、二様のみ方が考えられるが、いずれにしても、右判決の判示するところを民法五一一条の解釈にそのまま置換えてみるならば、債権差押前に第三債務者が弁済期の到来した反対債権を有するときは、相殺をもつて差押債権者に対抗できるということになるにとどまる。従つて、かりに、民法五一一条の解釈として右判決と同旨の見解がとられるとしても、前記三口の手形貸付金債権を自働債権とした相殺が被控訴人に対抗できると解する余地はない。

二、準備書面二項について

民法五一一条の解釈について、前記判決における河村裁判官の補足意見と同旨の見解をとるときは、同条をドイツ民法三九二条と同様に解することになるが、差押と相殺との関係は、強制執行制度との関連において考察されるべきであるから、民法五一一条をそのように解することはできない。すなわち、金銭執行が競合した場合個別的優先主義を徹底しているドイツ民訴におけるような強制執行制度の下では、もし、被差押債権と第三債務者の反対債権とが差押当時相殺適状にあるとか、或いは少くとも反対債権が差押当時弁済期になければ有効に相殺できないとすると、第三債務者は、自己の債務についてはすべて取立てられる反面、自己の債権については、全然満足をうけることができないことにもなり、かくては、第三債務者に著しく酷になるから、差押債権者に優先権が与えられる反面では、それに相応して第三債務者の利益も保護されなければならず、結局ドイツ民法三九二条に規定する線で両者の利害が公平に調整されることになる。ところが、わが国のように強制執行においていわゆる平等主義をとつている場合には、差押債権者の地位は、ドイツ民訴における場合ほど強大なものではなく、反面第三債務者は、反対債権について差押債権者と同順位において配当をうけることができるのであるから、被差押債権と反対債権とが差押当時相殺適状にあるときにのみ、有効に相殺できるとして、差押債権者の利益と第三債務者の利益との間に均衡が保たれることになるのである。従つて、民法五一一条をドイツ民法三九二条と同様に解することはできないというべきである。

三、準備書面三項について

控訴人は、相殺予約に基く相殺と民法上の相殺とを混合して主張しておられるため、その論旨が明確でないが、一応控訴人の主張には、(イ)控訴人は、差押前にその主張のような相殺予約をしているから、被控訴人に相殺をもつて対抗できる旨の主張の外(ロ)控訴人の訴外会社に対する債権(自働債権)について、国税滞納処分等がされた場合には、期限の利益を失う旨の特約があり、そのため、右債権と被差押債権(受働債権)とは本件差押当時相殺適状にあつたから、控訴人のした本件相殺は、被控訴人に対抗できるとの趣旨の主張が含まれているものとして、被控訴人は、次のとおり反駁する。

(一) 右(イ)の主張について

相殺の予約においては、その内容が必らずしも民法の定める制限に従うことを要しないのは、もとよりであるが、しかし、一方の当事者の債権が差押えられた場合、他方の当事者が反対債権による相殺をもつて差押債権者に対抗できるかどうかは、原判決の判示するとおり、相殺予約の内容の如何にかかわらず専ら法律の規定に従つて決せられるべきであつて、このことは、相殺予約のされた時期が差押の前であると後であることによつて異なるところはなく、また、相殺予約において、差押により予約完結権を行使し得ると定められていても同様である。けだし、単なる私人間の契約によつて法律の認める以上に相殺の対抗力を拡張できるとすれば、私人が任意的に債権者の追究を免れる財産を創造できることにもなつて、差押による処分禁止の効力を維持するために、第三債務者による相殺に対して一定の制限を設けようとした法律の精神をみだりにふみにじることになるばかりか、被差押債権に第三債務者のため質権が設定されていて、それが差押債権に劣後する場合(例えば、差押債権が国税である場合)を考えると、相殺予約が担保物権以上の担保力を有することになつて著しく不合理な結果を招来することになるからである。従つて、第三債務者が差押後でも民法上有効に相殺をし得る場合はともかくとして、そうでない場合には、たとえ相殺予約があつても、これに基く予約完結権の行使により差押債権者に対抗し得るためには、予約完結権の行使が少くとも差押時までに行われていることを要するものと解すべきである。ところで、本件においては、控訴人がその主張する相殺予約に基く予約完結権の行使として相殺の意思表示をしたのは、本件差押の後であるから、その相殺のうち、前記三口の債権を自働債権とした部分については、被控訴人に対抗できないものというべきである。

(二) 右(ロ)の主張について

(1)  控訴人の主張するような特約、つまり一定の事由により貸付債権の期限の利益を剥奪する旨の特約は、金融機関が貸付を行う場合一般に付されている特約であるが、この特約の本旨は、約定事由が発生した場合に期限の利益を剥奪して直ちに請求するかどうかの自由を債権者に一方的に留保することにあるとみるべきものであつて、期限の利益を奪う旨の意思表示なくして当然に期限の利益が失われるとする趣旨の約定と解することはできない。このことは、控訴人主張の特約にもみられるように、期限の利益剥奪の事由として一定の客観的事実の外、「債権者において債権保全のため必要と認めたとき」というような債権者の内心的事情が併記されていることからもまた、周知のとおり、銀行取引の実状においては、約定事由が発生した場合あらゆる債権につき直ちに期限の利益が剥奪されたものとして請求し、或いは、事後利息の請求に代えて遅延損害金を請求する等の取扱をしていないことに照らしても容易に首肯されるところである。ところで、本件においては、控訴人主張の債権中前記三口の手形貸付金債権について、差押時までに期限の利益を剥奪する旨の意思表示がなされていないから、少くとも本件相殺のうち、右三口の債権を自働債権とする部分は、被控訴人に対抗するに由ない。

(2)  かりに、控訴人主張の特約により、訴外会社の控訴人に対する債権が国税滞納処分により差押えられた場合、控訴人の反対債権について、何らの意思表示なくして当然に期限の利益が剥奪されると解されるとしても、期限の利益が剥奪されるのは差押の効果発生後であるというべきである。すなわち、控訴人主張の特約によれば、差押によつて期限の利益が剥奪されるのであるから、論理的に後者は前者の効果発生を前提とするものであるし、また、ことを実質的に考えても、期限の利益剥奪の効果は、差押後に招来されるものと解しなければ、折角債権者が、債務者、第三債務者間の債権債務が相殺適状にないことを見極めて、債務者の第三債務者に対する債権を差押えても、被差押債権は、常に空に帰し、差押債権者の利益を著しく害するばかりか、私人に有効な執行免脱約款を設け得ることを容認することにもなるからである。民法五一一条の解釈としても、同条は、差押が行われるまでに被差押債権と第三債務者の反対債権とが相殺適状にあつたという法律状態を尊重し、その法律状態に第三債務者が有効に相殺し得るという利益を認めたものと解すべきであるから、期限の利益の剥奪が差押によつて招来される場合は、同条による保護をうける適格を有しないものというべきである。なお、控訴人は、破産法上の相殺制度を引用して、本件では控訴人主張の特約に基き、差押当時相殺適状が形成されていると主張されるが、破産法上の相殺は、債務者の責任財産不足のために一般執行が開始されるに当つて、公平の見地から民法上の相殺の要件を緩和した特別の制度であるから、契約に基く相殺或いは民法上の相殺と対比されるべきものではない。

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